2006年04月30日

ほどく〜「クムラン」

以降、「ほどく」は、本の感想ということに。
んで、書くとえらい長いんで、読みたい人は「続きを読む」を押して下さい。「松岡正剛の千夜千冊」というサイトがある。そこで紹介されていた本がコレ。非常に面白い、とあったので、図書館で取り寄せお願いして……みたところが、コレが2冊目。しょうがないのでその足で一冊目を頼んで、翌日げっと。即読んで。

 一応、片帆という奴は切支丹である。ついでにイスラエルなぞという国で留学なんかしていたんである(だからクムランという題に飛びついたのだ)。故に、この本に出てきた単語には、それなりの馴染みがあったのだが。

 ……えーと、イエス・キリストが、エッセネ派の影響を受けてるのが、そんなに嫌なことなのかカトリック……というか西洋キリスト教。

 クムランという地名は、さほどに有名ではないと思う。ただ、この地は「死海文書」の発掘された地なのである(といっても、多分「あ、そっか」と思う人の割合はあまり増えないと思うけど)。でも、聖書学の観点からすると、20世紀最大の発見とも言われたもので、現在はそのかなりがエルサレム博物館の死海写本館にある。少なくともこの写本館については己的に非常に馴染みが深い。なんせ母校の校庭から、あの玉ねぎ頭は良く見えた(いや、写本の入ってた壺の格好を模しているってんだけど、その蓋が玉ねぎっぽいのである)。
 だから、その中に『義の教師』というのが出てくることとか『光の子と闇の子の戦い』があるとかは知っている。独立戦争の合間に、この巻物が各地に散逸しかけたことも(これだけの内容を持つ書物だ。そりゃ研究者がかっぱらいたくもなるだろう)。
 ただ……その。
 その程度の知識でエルサレムに居た奴が、友人から聞く限りでは、預言者ヨハネがエッセネ派だったんじゃないかとかキリストもエッセネ派に詳しいんじゃないかとか、そこらは自然な発想だし別になんてこたない学説であると思ってたんだけど。

 この話は、まず、主人公が殺人を犯した、と発言する。なんじゃこら、と読んで飛ばすと、一章は、死海文書の中に『行方不明になった一巻』がある……との話から始まる。それもキリストに関する非常に画期的なものであり、よってカトリックの総本山はその情報を先に抑えて、まずいものなら密封してしまいたい、と。どうやらそれは、研究していた学者の一人が先に隠匿したようだが、彼はキリスト教を捨ててしまった……
 という中で、この巻物に絡む人たちが、非常に無残に殺されてゆく、その謎を主人公が追うのだが。
 やー懐かしい、メアシャリームかよーとか、死海写本かー玉ねぎかーとか莫迦な感想ごと読んでゆくうちに、結局隠匿してた学者さんは『その内容を発表したかったのに、共同研究者(カトリックでかなり狭量)に脅されて公開出来ない、でも今度こそこれを公開せねば!と学会に出て。

 で、冒頭の問いなんである。
 
 いや、最後まで読むと、ああ成程、こういう風になってたら、秘密にしたくなる、のかなあとか思うんだけど、この、学会の場面で、巻物を公開しようとする学者と、その敵対者の論争の中に、こういう部分が出てくるんである。

「皆さん、この男は背教者というだけではない、この男は……この男はユダヤ教に転向したのですぞ!」
「お前は背教の挙句、イエスの死に責任のある民族に与したんだ。民の名は罪人イスラエル、罪人は彼らをおいて他にない……」

        **

 これは留学していた時のことであるが。
 大学寮で同じ部屋だった女の子に質問されたことがある。
「日本人は何でユダヤ人を差別しないのか?」

 ………………はあ?

 思わず「されたいんですかあんたらは」と突っ込みたいのを我慢して、
「それは現在のことであるか、昔のことであるか?(へたなヘブライ語)」
「今のことよ」

 ………………。

 とりあえずその時は「平均的日本人に、5人のユダヤ人と5人のドイツ人を出す。混ぜる。日本人区別できない」と断言して「え、日本人はそんなことも判らないのか!」と驚かれたわけだが(あんたらだって中国人と韓国人と日本人の区別がついてないやん)。
 ただ、日本に戻って、その後現在の日韓問題が明らかになるにつれて、時折見る論調、つまり「日本と韓国の関係はドイツとユダヤの関係に同じ。本当になかった反ユダヤを言い立ててドイツ人を迫害している」との論を見るようになった。
 自分はこうやってイスラエルにまで行った口だし、その視点からしたら反ユダヤもホロコーストもあったと思うわけだけど、無論なんらかの一次資料に当たったわけでもなく、根拠無いだろといわれればその通りである。
 ただし、日韓問題とユダヤ問題は、一点、しかし大きく違うと思うのである。それがこの点。

 日本という国は、韓国を滅ぼすことを国是としたこともない。また宗教の立場からのお墨付きも得たことはない。
 しかしながら、西洋のキリスト教国というのは、基本として『宗教による善悪』の点で、ユダヤを滅ぼすことを肯定することが可能なんである。

 話がまた飛ぶけど。
『ショアー』という映画がある。フランス人の監督の作った、ノンフィクション映画で、いわゆるホロコースト(ショアーはそのヘブライ語)に関わった人達に、監督が延々とインタビューをしているものだ。
 そのなかに、或る収容所のたった一人の生き残りが、その収容所のあった付近を訪れる、というシーンがあった。また、その付近の村に現在(昔も)住んでいた人達に会う、というシーンも。
 そこで、監督が「この人は、そこの収容所のたった一人の生き残りなんです」と紹介する。無論村の人達は「なんてひどい」と、一度は顔をしかめる。
 しかし。次の言葉に、己は慄然とした。

「でもユダヤ人は、キリストを殺してるから」

 ホロコーストがあったかないか、の論は今は横に置く。少なくともこの村の人は「あった」で納得してるし「ひどいことやな」とも思っている。
 しかし、その「ひどいこと」は、この一言でチャラになるのである。良いことまではいかなくても『仕方の無いこと』になってしまうのである。
 
 宗教というものが誤る時の怖さは、ここにあると思う。

 そもそも、イエスは、ユダヤ人なんである。
 しかし、そのイエスを殺した、という理由で、ユダヤ人は「滅ぼしてよい民」になってしまうのである。
 正義に基づいた行動は、時にして残忍にもなる。それが個人の正義でなく、イデオロギーになると、これはほんとに恐ろしいことになる。

         **

 引用した台詞は、かなり狭量なカトリックの信者の発言とされており、これが一般的なものとは流石に思わない。しかし、今年の初めに起こったフランスでの暴動(イスラム圏中心の)で、全く関係ないユダヤ人の普通の人の墓が壊されていたこと、そしてこの前の「ムハンマドの漫画」に対抗して「ホロコーストについての漫画をかいてやろうか」と返答する感覚(キリストを漫画にしてやるぜってなら判るけど、漫画描いたのは北欧の国、ホロコーストとは全然関係無いではないか)を見ると。
 宗教によって『相手を滅ぼす』というお墨付きを一度貰うってことは怖いことだと思うし、多分それを「理解できない」と思う日本人の「寛容」の精神は、実は非常に大切じゃないかなと思う。

 というわけで「クムラン」、一冊目はユダヤ教とキリスト教の間の重箱の隅をほじくるような(無協会派切支丹曰く)、しかして深くて広い溝の間を縫って話が進む。二冊目はよりトンデモ部分が大きくなり、ラストは、え、まじかよ、というところで終了する。何でも第三巻は執筆途中らしいのだが……え、主人公無事なの?それとももっと徹底してトンデモ本になるのかな、この続き……
posted by 片帆 at 21:27| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ご紹介させていただきました
Posted by 無料 at 2008年01月24日 19:02
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Excerpt: クムクム# アニメ『機動戦士ガンダム』に登場する架空の人物。 ⇒ 機動戦士ガンダムの登場人物 民間人#クムを参照。 アニメ『機動戦士Ζガンダム』及び『機動戦士ガンダムΖΖ』に登場する架空の人物。 ⇒ ..
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